思ったこと

中学1年生のとき裏切ってしまった友だちに、震える手で手紙を書いた。

私は中学校1年生のとき、親友だった女友達を裏切ってしまったことがあります。

13歳から、29歳になった今まで、そのことを後悔してきました。ずっと謝りたいと思っていました。今年になってようやく、その気持ちを行動に移せました。経緯を書いていきます。

自分が仲間外れになるのが怖くて、友人を仲間外れにしてしまった

Kちゃん(仮名)は、小学校のころからずっと一緒にいた仲良しの女友達で、学校でもよく一緒にいて、放課後も自然に集まって遊び始めるような間柄でした。

お互いの家でもよく遊んだし、それはそれはもうたくさんの思い出を共有していました。きっと一番お互いのことを理解していたし、一緒にいて本当に楽しかったです。

 

私は空気を読むのがニガテで、よく周囲から浮くような行動をしていたので、小学校を卒業する時にはもういろいろとやらかしていました。詳しくはプロフィールを参照。

小学校の時から、人間関係についての悩みはもう始まっていました。

 

中学校に入学して、ほかの学区の同級生が増え、先輩・後輩のハッキリとした上下関係がうまれました。

そこで私はどう人間関係を構築していったらいいのか分からなくなって、とりあえず “スクールカースト上位っぽい女の子” の真似をしていればやっていけるんじゃないか?という安易な思考に走りました。

くわえて、過去の自分にも自信をもつことができなかったので、もう小学校時代の自分をすべて捨ててしまいたいとすら思っていました。今までの人間関係を精算して「生まれ変わり」たかったんです。

象徴的だったのは、小学校の時にずっと片思いしていた男の子が、中学校に入るタイミングを待って放課後に告白をしてくれのですが…
しかし、その男の子のことをにべもなく振ってしまいました。「もう今更告白しても遅い、過去の私はもういない、私は変わってしまったの!」と思いこみたかったのでしょう。

その男の子以上に、Kちゃんの存在は、私という人間を構成する大きな要素でした。もちろん、私もそのことを自覚していた。だからこそ、自分から切り離してしまいたい…と感じ始めました。

とある日から、私はKちゃんのことを避け始めました。女子グループからあえて仲間外れにしたし、別行動をとるようになっていきました。

 

この時期の記憶は、私の中にほとんど残っていません。それがどのくらいの期間だったかもびっくりするくらい覚えていません。
どうにかして中学校の人間関係を生き残ろうとしていたのかなと思います。くわえて、他人にどう見えるかだけを考えて行動していたので、自分の頭でモノを考えていなかったのかもしれません。

中学校での学校生活は、ほとんど覚えていません。吹奏楽部の練習とコンクールの一部、そして校内でいじめられたショッキングな記憶の断片が浮かんでくるだけです。

でも、Kちゃんが「え、なんで…?」という顔をしていた景色だけが、いまでも網膜に焼きついて離れません。悲しさや怒りを表に出すことなく、表面的に笑顔を保ったまま、内心すごく戸惑っているような表情です。
その顔を思い出すと、もう相手への申し訳なさと自分への恥ずかしさで、いまにも悶え死にそうになります。

あのときの自分をぶん殴ってやりたい。情けなくて情けなくて、自分のちっぽけな人間性に、泣きそうになります。

 

でも結局、新しい女子グループと行動するのも苦痛だったし、行動する時にも自分だけ誘われなくなったりして、だんだんと他の女子たちと心の距離ができていることを感じていました。

ああ、結局どこにいたらいいか分からない…と思った私は、元々仲が良かったKちゃんのいる女子グループにノコノコと出戻りました。
友人たちはたぶん、「お前どんなツラしてこっちに戻ってこられの…」と思ったはずです。

そもそも「グループ」単位で行動する感覚が今でも分からないし、もう二度とそんなふうに暮らしたくもないと思います。
誰かを傷つけてまでグループでうまくやろうとするくらいなら、無理に一緒にいることを選ばなくていい。そんなふうに気づけたのは、大人になってからでした。

自分がしたことに向き合いたいと思えたきっかけ

高校時代と大学時代には、自分がしたことから目を背け続けていました。何度も何度も謝りたいと思ったけど、「今更…」「でもどうやって?」と躊躇してしまい、どうしても考える気になれませんでした。

新卒で会社に入って、体を壊して強制的に独立するまでは、怒涛の毎日で、過去を振り返っている気持ちの余裕がありませんでした。

 

ただ私は幸運にも、フリーランスになってから「自分を認めてくれるコミュニティ」を見つけられました。
人生の大部分を、他人の期待に応えるために生きてきてしまった私でしたが、自分らしさを否定されないコミュニティで過ごしていくなかで、だんだんと自分を認めることができました。

そのうちに、だんだんと「過去も自分の一部だから、ちゃんと向き合っていきたい」という気持ちになってきました。
イカさん(瞑想)、ちょろさん(CTIジャパンのコーチング講座で知り合ったライフコーチ)、高さん(カウンセラー)の、いつも私がお世話になっている専門家3人に、インナーチャイルドに向き合えるように促してもらえたのも大きかったと思います。

 

しかし、本当の極め付けは、【私自身が】友人から突然態度を変えられる、という経験をしたこと。
「あれ、いままで私が友情だと思ってたものは友情ではなかったのかな…??」と戸惑う気持ちが大きく、相手にどう接していいか分からなくなりました。(多分そんなことはなく、相手が心地いいと思う関係性と、私のそれが違ったんだと思いますが…)

ただこの経験を通して、過去の経験について考えるきっかけをもらいました。
私はもう大人だし、相手との関係性のほかにも築いてきた信頼関係があるので、繋がりを取捨選択できます。
でも、中学校の人間関係は、学校外でなにかコミュニティに所属しない限り、基本的に「在校生の繋がりの中だけでどうにかやっていく」傾向が強いです。
私がKちゃんにしたことは、閉じている環境で相手を孤独にしてしまうことだったんだ…そう思うと、背中に冷や汗が流れました。

 

そんななか、2020年11月から、運営を担当する田舎フリーランス養成講座が始まりました。
受講生のみんなは、それぞれの人生に真剣に向き合っていました。そして、受講生の中には「幸せな死を迎えたい」「死ぬのが楽しみって思いたい」と、死ぬ瞬間を思い描いている人たちもいました。

私がいま死ぬとしたら、後悔しないだろうか…と想像してみました。そのときに真っ先に頭に浮かんできたのが、

「Kちゃんにちゃんと謝りたい…」という思いでした。

この思いはきっと死ぬまでなくならない。自分がしたことに正面から向き合う時がきたな、と覚悟を決めました。

16年の歳月が流れましたが、いろいろなきっかけが重なって、「手紙を書こう」と決意することができました。

便箋を買うだけで、頭が真っ白になった。

まずは便箋(びんせん)を買わねば、と思い立ってから、なんとなく行動するのを避け続け、あっという間に数日が経ってしまいました。そのくらい腰が重かったです。

100円ショップで便箋を探しているとき、頭が真っ白になってしまい、気が気じゃなくなりました。冷や汗も出てきて、自分がいま何コーナーにいるのかも分からなくなるほどボーッとしました。
「こんなに取り乱すのは数年振りかもしれない」と感じるほどでした。

便箋を購入してから、封を開けるまでにまた時間が必要でした。今日こそは手紙を書こうと思っては、やめる…そんな日々が続きました。

「一人では無理かもしれない」と、自宅で手紙を書くことを諦めました。

そこで、いなフリ受講生のみんなが作業しているコワーキングで書き始めることにしました。

 

便箋を前にすると、やっぱり頭が真っ白になり、何を書いたらいいか分からなくなります。なので、まずは構成から考えました。
コワーキングスペースに置いてあった大きめのふせんに、どうしても伝えたい要素を並べて書き出しました。

許してほしい、なんて言い訳は絶対に書きたくありませんでした。

「許してもらえるかも分からない、受け取ってもらえるかもわからない、それでも謝りたいと思った。本当にごめん。最悪なことをしたと思っている。」

これだけが相手に伝えられるように、言葉を慎重に選んで、一気に書きました。

 

配達員さんがKちゃんの自宅に手紙を届けている光景、彼女の実家の親御さんが手紙を事前に読むかもしれないなという想像、そしたらどうなるかな…という不安、返事は返ってくるのか、それともこのまま一生沈黙するのか…

手紙をポストに投函しにいく途中の道を歩いてて、いろいろな妄想がバーッと脳内に広がりました。

ポストに投函するときには、もう感情が「無」になっていました。

投函するときの「カコン…」という乾いた音と、赤い封筒がポストに飲み込まれて消えていく光景が、記憶に残りました。

このブログ記事は、手紙を投函したあとに、コワーキングと自宅で書き上げた記事です。この後どうなるかは分からないですし、こうして記事の形にするかは分かりません…。

 

私が、人間関係を定期的に精算したくなってしまう(築いてきた情緒的なつながりを断って白紙に戻したくなる)現象は、ごく最近まで続いていました。

人間関係や環境を変えることで、自分自身の中身までもが変えられるような気がしていたし、繋がりから排除されるリスクから逃れられるような気がしていたからだと思います。

ただ、このループを繰り返していても、残るのは「また人を裏切ってしまった」という罪悪感と後悔です。また自分を認められなくなる悪循環が続きます。

この循環は、どこかで断ち切るべきです。

死ぬときに、今までしてきたことすべての後悔を消し去るのは無理かもしれません。でも、生きてるうちに、そこに向き合おうと努力することはできます。

 

この出来事をブログとして公開するかどうかは悩みました。また、書く時に自己嫌悪に飲み込まれそうになって、何度も途中で休憩しました。

でも、やっぱりKちゃんに手紙を書けてよかった、と思っています。

「死ぬまでに言っておきたい」という自分のエゴなのは分かっています。それでも、私はやっぱりKちゃんに心から謝るべきでした。

いま少しでも似たような葛藤を抱えている人の背中が押せたらと思っています。

【2020.1.2追記】お返事をもらいました…!

Kちゃんから手紙でお返事がきました…!

お返事のことは、怖すぎて、普段はあえて考えないようにしていたのですが…

私の不在時にパートナーがポストから取ってくれてて、机の上に置いてあったオレンジのびんせんを見た瞬間に心臓が跳ね上がりました…。

 

でも、びんせんにKちゃんっぽいかわいいシールが貼ってあって、小学校の時から変わらない可愛い字で、なんだか少し勇気が出てきて。
パートナーとNetflixを見て心を落ち着かせたあと、思い切って「エイッ」と開封。

 

視力が上がったんじゃないかと思うほど一字一字が迫力をもって視界に飛び込んできました…。

 

結論からいうと、Kちゃんは、文面上では「距離が離れたとは思ってたけどそんなふうに受け取ってなかった、伝えてくれてありがとう」と書いてくれました。

私が自己開示したのに呼応してくれるかのように、Kちゃんが当時私に抱いていた感情も振り返って書いてくれて。
手紙を読み進めるごとに、小学生の頃から変わらない、優しくて、包容力があって、あったかい笑顔のKちゃんの姿が浮かんで…。
でもその言葉選びは、昔とくらべてずっと意思を含んだ優しさになっているのを感じて。

何より、いちばん最後に、親友より、と署名してくれていて…。

その文字を見た瞬間に、嬉しさなのか、ごめん、なのか、わけのわからない感情が胸に込み上がってきて涙がおさえきれなくなりました。

 

身近にこんな友人がいてくれたんだな、と感謝の気持ちしかありません…。

当時コンプレックスのかたまりだった自分のことは残念に思うけど、それでも、こうして「決して不幸じゃなかったし、本当に優しい人たちが周りにいてくれた」と振り返れる自分になれてよかった。

 

もしKちゃんからお返事が返ってこなくても、仕方ないし、自分の中で折り合いをつけようとしていたと思うけど

10000パーセントの本心を書くと、返事が返ってきたこと自体がもうめちゃくちゃ嬉しかったし、その内容がKちゃんという人の素敵さをこんなに伝えてくれるものだったことが尊いです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました…!