思ったこと

息苦しさを抱えたわたしが「等身大の自分」に戻れた、たった一つの場所。

2020年の夏にサーフィンを始めてから、「定期的に海に行きたいな」と思うようになった。
それはサーフィンをやりたい、のももちろんなのだけど、海のある空間でボーッと過ごす時間がとても心地よかったから。

私は海辺のまちで育ったので、帰省すればいつでも海を見ることができる。でも、あまりに距離が近すぎて、海がそばにあることを当たり前扱いしていた。
生まれ育った環境からいったん離れたことで、海とともに暮らす魅力を再認識できたと思う。

海にいると、ふだん体に巻きついている(?)自己防衛のベールが、ファ〜〜ッと潮風の中に流されていて、いつの間にかなくなっている。
だから、海辺で話をしていると、相手へのヘンなガードがなく話せる。それがとてもラクな感じがする。

いつの間にか、その「ラクに話す」と「地元の海辺」のイメージが、私の中でわりとガッチリ結びついていた。
いろいろな仕事を、地元の海の見える場所でやってみたい、と思うようになった。

 

でも私自身が、なんでそんなに「地元の海辺」にこだわっているのか、自分でもよく分からないな〜と不思議に思っていた。

海にいるときは、等身大の自分たちでいられた。

阿字ヶ浦海岸1

先日、わたしのライフコーチ・チョロさんと話しているときに、「地元の、海の見える場所でいろいろとやってみたいなと思ってます」と打ち明けてみた。

チョロさんはすごく、すご〜〜く応援してくれて、いろいろと気になったことを質問してくれた。
いくつか質問に答えているうちに、ふと…本当に突然、アタマのなかに1枚の絵が降ってきた。

それは、父と母と私、家族3人で海辺を歩いている絵だった。

その瞬間、自分自身が無意識に考えていたことをすべて悟り、涙が止まらなくなってしまった。

 

私が小さかった頃、家の中で家族3人でいるときに、息苦しさを感じることがあった。

でも、海辺を歩いている時には、家族みんなで同じ潮風に当たって海をみて、海の話をした。
父が幼かった頃に海でどんな遊びをして、何を考えていたのかを聞かせてくれた。

昔の砂浜は、ほんとうはあそこにずらりと松が並んでいて、浜がもっともっと長くて、走っても走っても海に入れなかったんだ…
父の頭の中にだけある、海辺の話を聞かせてもらうのが好きだった。

海辺では、父・母・子の役割は薄れて、3人が自然な形でコミュニケーションをしていた。その時間が本当に心地よかったことを、突然思い出したのでした。

 

今思えば、土日の部活のあと、部活の友人たちと海に行ったのも、すごく鮮明に残っている思い出だった。
校舎や音楽室を離れて、そこでは、サユリはサユリだったし、ミキはミキだったし、ミホはミホだった。私は私だった。

そうか、私にとって海辺って、自分や周りの大切な人たちが、ありのまま自分らしくいられる場所だったんだ…。

「都留においで」と言うとき、頭の中には何が浮かんでいますか?

阿字ヶ浦海岸2

わたしはもともと全くゆかりのない山梨県都留市に、ノリで移住してからもう1年半年ほど住んでいます。
住民の人たちにめちゃくちゃ支えられているし、なんといっても自分の人生をいちばん追求できた拠点なので、やっぱり「第二のふるさと感」があります。

知り合いが悩んだり、挫けそうになっているときに、よく「都留においでよ」と声をかけることがあります。
ほかの住民たちも、同じように声をかけている光景を目にします。

都留に限らず、「**においでよ」「**をしてみようよ」と誰かに伝える時って、どんなことを頭に思い浮かべていますか?

わたしは、私自身が都留でいろんな人に支えてもらった光景のフラッシュバックや、相手を囲んで自宅や共有スペースでじっくり話を聞いているような光景を頭に浮かべながら、その言葉を発しているなと思います。

たぶん、その「浮かべている光景」の雰囲気が、言葉に乗っかって出ているんじゃないかなぁと感じます。
だから「都留においで」ってなんとなく優しい響きがするんだろうなと思います。実際に、優しい雰囲気だから。

 

だからわたしは、誰かと海辺で語り合いたいなぁ、いろいろやりたいなぁ、と思った時に、どこかのほかの海辺じゃなくて、地元がいいんだろうなと思ってます。

いくら観光地でも、いくらキレイな海でも、いくらアクセスがよくても、やっぱり阿字ヶ浦の海とは違うんですよね。

私自身が、「阿字ヶ浦においでよ」と伝えたときに、いろいろな感情や思い出が、言葉に乗っていっしょに相手に伝わるのだから。

 

ということで…どうして私が「地元の海辺」が好きだったのか、点と点が線でつながった瞬間について書いてみました。
ああ、このテーマをついに言語化できる日がくるとは…よかったです。

阿字ヶ浦に…おいでよ!!!