最近よく聞いて、気になる言葉があった。
「視座が高い」
よく、ビジネスマンの能力なんかを語る文脈で「あの人は視座が高いよね」とかいう言い方をする人をみかける。
私は、そういう人をみかけるたびにこう思っていた。
視座が高いって、どういうイミやねん??
本当に意味わかって使ってるん?????
てか、スゲ〜〜って感じる人のことをテキトーに「視座が高いよね(キリッ)」とかカッコつけて表現すればそれっぽくなるからそう言ってるだけじゃないの???
…って、なんでか知らないけど、とんでもなく斜に構えた見方をしていました。なんでだ?
とにかく、ひとつの言葉として、なぜか知らないけどスゴイ違和感があった。
で、ちょっとだけ話は変わるのですが、
今日、たまたま参加した機会で、目の前に現れたんです。
なんかスゲー人が。
広告畑からIターンした、地方でビジネスをしてる二代目社長。
三方よしのサービスを考えついて、マーケティングの切り口もキレッッッキレに鋭くて、
キャッチコピーも世相を反映したズバッッ!!みたいな言葉選びで感動モノ、
地域への営業もムダがなく敏腕で即決するし、
でもワンマンでなく社員さんの熱量も高くて、
社員一丸となって企画に臨んだ話が、なんかプチ奇跡みたいなエピソードになってる。
しかもそれっきりじゃなくて、その仕事の仕方に再現性を持てていて、新規事業つくるのをどんどん続けてた。
しかも、任期まだ1年も経ってない。
ド素人の私が客観的にみても、めちゃくちゃすごかった。
で、隣にいたスゲー人2号がポツリと
「この人はほんと視座高いっすね」
と、つぶやいた。
!!!!!!!
で、出たァ〜〜〜〜〜!!!
視座が高い!!!!!
出ました出ました出ましたぁぁぁ〜〜〜〜!!ドンドンパフパフパフパフ!!!
ドンッドドンドンドンッドドンドンドンッドドンドンドンドンドン!!!!!!
ぃよぉ〜〜〜〜〜〜〜ッ!ポポン!!!!!視座が!!!ァ高ぁぁ〜〜〜〜〜いぃぃ↑↑↓↓ぃいい!!!!(歌舞伎風に)
ヒソヒソヒソ…え、…使ってます??…お宅も…使ってます??「視座が高い」。
ンまぁ〜〜…!!!!…実はね、ウチはね、ま・だ・な・ん・で・すよぉ〜…っ「視座が高い」は。ア〜ヤダもぉ!!
(賢者モード)なるほど…そっか、さっきのめちゃすごな人が視座が高いんだとすると、
視座が高いとは…視座が高いとは…!
社会を俯瞰できて、その文脈に沿ったビジネススキルと実際の行動力をあわせ持った人(できれば成果も出してる)?
それってでも、ただの「すごいビジネスマン」ってことじゃないのかな?
疑問は深まった。
「視座」の定義って?
物事を見る立場。視点。『広辞苑』(1998年11月,第5版)
知識社会学で,個人が,置かれた状況によって条件づけられた形で,社会に対し,社会を見る視点,座標をいう。転じて,一般に,物を見る姿勢,視点。『日本国語大辞典』(小学館,74年5月,第1版)
日本国語大辞典の定義を読んで、私の違和感の正体が、イッキに判明。
「視座が高い」っていうのは、それ単体で形容詞にならない言葉って感じがする。
「どんな状況において」視座が高いのか補足がないと、意味が通らない言葉なんじゃないのか…?
視座が高い(C)+人(S)
↓
S(主語)+C(形容詞)この構文に、副詞、あるいは、前置詞に続くことばで補足をつけるべき。
すべての状況において視座が高い人っていないので、単純に「視座が高い人」っていう説明だけでは成立しない。
あの人は視座が高いよね〜〜(なんの分野で?)
ってなる。
私の中では、「価値が高い人」「有能な人」「デキル人」「すごい人」と同列のふわふわ言葉。
あっ…!!!あれに一番ニュアンスが似てる。「意識高い」。
じゃあどういう状況下で視座が高いのか補足した上で使ってみたら、どうなるのか。
「チームの責任者としてマネジメント分野で視座が高いよね〜」
「ソーシャルグッドを収益化する分野でほんと視座が高いよね〜」
「SNSでバズりやすいマーケティングにおいて視座が高いよね〜」
分野を区切ったら区切ったで、もはや視座が高いという言葉を使う必要性がすごく薄れてくる。
考えれば考えるほど、視座が高い、ってすごくフワッとした意味の言葉だと思うんだけど、ビジネス的な文脈で使われるとなんとなく「そういうものか」って無難に受け取られてきている気がする。
私は、すごくフワッとして主観的なのに人をさりげなく相対的評価の土俵に乗せてるというか、決めつけをしてるような感じが全然ピンとこないんだろうな…。
ネットで調べてたら、主観と相対的評価をまぜこぜにしてるのでは、みたいな批評ブログが出てきて、この感覚を持ってる人は私だけじゃなかったんだ!とビックリ。
この言葉を使う/使われる時には、ちょっと心に留めておこう、と思ったしだいでした。
結局、視座が高い人ってどんな人なんだろう。
「社会との関わる視点」が「高い」って、どういう定義になるんだろう。
例えば、エコフレンドリーで、地球全体のことを考えて、ゴミも排気ガスもとにかく出さないように極力社会的活動をしない!と決めて死ぬほどこだわって生活してる人も、社会的な関わり方を極めているという点においては、視座がめっちゃ高いと言えるのだろうか。
でももしかしたら、「条件づけられた状況のなかでの関わり方」を超えて、ものごとを俯瞰する能力がアベレージ的に高そうな人のことを
視座が高い人、と呼んでいるのかもしれない。
これが一番しっくりくるかも。
じゃあ、俯瞰する能力が高い、でよくない???
でも、やっぱりそれ以上の意味が付加されてるんだろうか。
2,000文字分悩んでも、ハッキリした結論が出ませんでした。
どうやら私は「視座が高い」という言葉を使いこなすには視座の高さが足りないようです。
標高634mくらいになってからまた出直しますので、またいつか会える日まで。ジャンボ。